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高知県の室戸岬の近くには、空海が修行をしたと伝わる洞窟「御厨人窟(みくろど)」があります。「空海」という名前の由来とも結びつけて語られる場所ですが、何が史料に書かれていて、何が伝承なのでしょうか。
この記事では、室戸市ホームページの「御厨人窟(みくろど)」、室戸ユネスコ世界ジオパークの「御厨人窟・神明窟」、空海の『三教指帰』序文と『続日本後紀』の記述、そして愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センターの論考「『三教指帰』に見る空海と四国」をもとに、御厨人窟と空海の関係を5つのポイントで整理します。後半の、訪れる前の準備は、この記事の提案です。
※入洞時間などは変更されることがあります。訪れる前に、室戸市や室戸ジオパークの現在の案内で確かめてください。
御厨人窟とは
室戸岬の近くの2つの洞窟
室戸市ホームページでは、室戸岬の突端にほど近い海岸に、波の浸食によりできた2つの洞窟があると紹介されています。室戸ジオパークの案内でも、この穴は波によって削られた洞窟(海食洞)だと説明されています。
左が御厨人窟、右が神明窟
室戸市の案内では、左側の「御厨人窟」は、約1,200年前の平安時代、空海が室戸岬で修行をしていたときに居住していたと伝わる場所とされています。右側の「神明窟(しんめいくつ)」は、おもに修行の場として使われていたとされています。
2つをあわせて御蔵洞
同じ案内では、この2つの洞窟を総称して「御蔵洞(みくらど)」とも呼ぶと説明されています。
御厨人窟と空海の5つのポイント
ここでは、室戸市・室戸ジオパークの案内と、史料・研究から、御厨人窟について押さえておきたい点を5つにまとめます。
1. 空海が悟りを開いたと伝わる場所
室戸市ホームページでは、室戸市は弘法大師(空海)が修行をし悟りを開いた場所として、ゆかりの場所が数多く残っており、その一つが空海が悟りを開いたと伝わる「御厨人窟」だと紹介されています。
2. 『三教指帰』序文に「土州室戸崎」
愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センターの論考では、『三教指帰』巻上の序文に、四国での具体的な修行地として「阿国大瀧嶽」「土州室戸崎」が挙げられていると説明されています。「土州室戸崎」は高知県室戸市の室戸岬であるとされています。
3. 明星が来るという奇瑞
同じ論考では、青年期の空海が土佐国(高知県)室戸崎で、輝く金星が口の中に入ってくるという奇瑞を感得したと紹介されています。『続日本後紀』の空海の卒伝にも、「勤念土左国室戸之崎、幽谷応聲、明星来影」という記述があると引用されています。
4. 名前の由来は「言われている」話
室戸市の案内では、「空海」と名前をつけたのも、ここから見える空と海に感銘を受けたからと言われていると紹介されています。室戸ジオパークの案内でも、御厨人窟から出たときに空と海しか見えなかったからだそうだ、と紹介されています。どちらも伝承として書かれている点に注意しましょう。
5. 波の音は「日本の音風景100選」
室戸市の案内では、「御厨人窟の波音」は環境庁の「日本の音風景100選」に選ばれていると紹介されています。
5つのポイントの早見表
| ポイント | 資料での説明 |
|---|---|
| 悟りの地 | 空海が悟りを開いたと伝わる(室戸市) |
| 史料 | 『三教指帰』序文に「土州室戸崎」 |
| 明星 | 『続日本後紀』に「明星来影」 |
| 名前の由来 | 空と海に感銘を受けたと言われる(伝承) |
| 波音 | 日本の音風景100選 |
表は、室戸市ホームページ、室戸ジオパークの案内、愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センターの論考にもとづきます。
史料に書かれていること
『三教指帰』序文
論考によると、『三教指帰』は延暦16年(797)に著されたもので、儒教・道教・仏教の三つの教えのうち、どれが一番優れているかを論じ、仏教が優れていることを結論とした史料だと説明されています。執筆したとき、空海は24歳だったとされています。
その序文に、修行地として「阿国大瀧嶽」「土州室戸崎」が見えます。論考では、「阿国大瀧嶽」は徳島県阿南市加茂町にある第21番札所太龍寺のある太龍寺山、「土州室戸崎」は高知県室戸市の室戸岬であるとされると説明されています。
『続日本後紀』の卒伝
論考では、『続日本後紀』承和2年(835)3月25日条に、空海が虚空蔵求聞持法を示され、その経の説を信じて「攀躋阿波国大瀧之嶽、勤念土左国室戸之崎、幽谷応聲、明星来影」とした、という記述があると引用されています。
| 史料 | 室戸に関する記述 |
|---|---|
| 『三教指帰』序文 | 「土州室戸崎」 |
| 『続日本後紀』承和2年3月25日条 | 「勤念土左国室戸之崎」「明星来影」 |
序文をめぐる議論
論考では、『三教指帰』の序文が後世の偽撰とする説にも触れられています。序文が後世のものだとすれば、「大瀧嶽」「室戸崎」の初出は『続日本後紀』承和2年3月25日条になり、その時点には確認できる修行地といえる、と説明されています。研究上は議論がある点として、知っておくとよいでしょう。
四国のほかの修行地
論考では、『三教指帰』には室戸崎のほかにも、四国の修行地が登場すると説明されています。御厨人窟とあわせて知っておくと、青年期の空海の足取りがイメージしやすくなります。
阿波国の大瀧嶽
「阿国大瀧嶽」は、徳島県阿南市加茂町にある第21番札所太龍寺のある太龍寺山であるとされています。論考の「はじめに」では、空海は阿波国大瀧嶽で虚空蔵菩薩求聞持法を修したと紹介されています。
伊予国の金巌と石峯
『三教指帰』巻下「仮名乞児論」には、修行地として「金巌」と「石峯」が登場すると説明されています。「石峯」は愛媛県の石鎚山とされる一方、「金巌」は諸説あり、愛媛県の金山出石寺(出石山)とも比定されていて、注釈書や解説書でもその比定地は様々だとされています。
讃岐国多度の出身
同じ「仮名乞児論」には、仮名乞児が出自を問われる場面があり、『聾瞽指帰』では「玉藻所帰之嶋」に「賛岐」、「櫲楠蔽日之浦」に「多度」と自注していると説明されています。論考では、讃岐国多度郡に生まれて24年の歳月が流れたと表現し、空海自らが讃岐出身であることを強調していると解説されています。
| 史料の表現 | 比定される場所 | 論考での扱い |
|---|---|---|
| 阿国大瀧嶽 | 徳島県の太龍寺山 | 定説化 |
| 土州室戸崎 | 高知県の室戸岬 | 定説化 |
| 石峯 | 愛媛県の石鎚山 | 定説化 |
| 金巌 | 愛媛県の出石山など | 諸説あり |
9世紀前半の史料で確認できる
論考では、空海が讃岐国多度に生まれ、阿波国「大瀧嶽」、土佐国「室戸崎」や、伊予国と推定される「金巌」「石峯」でも修行を重ねたことは、伝承や伝説の類ではなく、史料上、9世紀前半の段階で確認できることが強調されています。
空海の生涯と室戸
論考の「はじめに」では、空海の生涯が次のように紹介されています。
| 年齢・年 | 出来事 |
|---|---|
| 宝亀5年(774) | 生年とされる、讃岐国に誕生 |
| 15歳 | 平城京で母方の舅・阿刀大足のもと儒教を学ぶ |
| 18歳 | 大学に入る、のちに退学して山林修行の道へ |
| 青年期 | 大瀧嶽や室戸崎などで修行 |
| 延暦16年(797) | 『三教指帰』を著す(24歳) |
| 31歳 | 遣唐使に留学僧として随行し入唐 |
| 承和2年(835) | 高野山で亡くなる |
室戸崎での修行は、大学を退学して山林修行の道に入ったあと、『三教指帰』を著すまでの青年期のこととして位置づけられています。
虚空蔵求聞持法とは
卒伝に書かれた修行
論考で引用されている『続日本後紀』の記述では、ある沙門が虚空蔵求聞持法を示し、その経には、人が法に従ってこの真言を百万遍読めば、一切の経法の文義を暗記できると説かれていた、という流れで書かれています。
修行と室戸崎
空海はその言葉を信じて、阿波国大瀧嶽に登り、土左国室戸崎で勤念したと記されています。室戸崎での修行は、この虚空蔵求聞持法と結びつけて語られています。
その後の空海
論考では、24歳から31歳までの約7年間はどのように行動していたのか、当時の史料には全く現れず、その事績はわかっていないと説明されています。
訪れる前の準備
ここからは、室戸市・室戸ジオパークの案内と研究をもとにした、この記事の提案です。
入洞時間を確かめる
室戸市の案内では、入洞時間は8:00〜17:00で、季節や天候によって時間の変更や入洞を中止する場合があるとされています。出かける前に、その時点の情報を確かめましょう。
伝承と史料を分けて楽しむ
現地では、空海の名前の由来など、伝承として語られている話にも出会います。史料に書かれていることと、伝承として語られていることを分けて知っておくと、現地の案内をより深く楽しめます。
波音にも耳をすます
「日本の音風景100選」に選ばれた波音にも注目してみましょう。洞窟が波の浸食でできた海食洞だと知っていると、波の音の聞こえ方も変わるかもしれません。
太龍寺とあわせてたどる
『三教指帰』序文で室戸崎と並んで挙げられる「阿国大瀧嶽」は、太龍寺のある太龍寺山とされています。2つの修行地をあわせて調べると、史料に書かれた青年期の足取りをたどれます。
『三教指帰』を読んでおく
現代語訳つきの『三教指帰』を読んでおくと、序文の「土州室戸崎」に出会ったとき、場所と史料がつながります。
御厨人窟と空海のよくある質問
御厨人窟の読み方は?
室戸市の案内では「みくろど」と書かれています。
神明窟との違いは?
室戸市の案内では、御厨人窟は空海が居住していたと伝わる場所、神明窟はおもに修行の場として使われていたとされる場所と紹介されています。
空海の名前はここで付けた?
室戸市の案内では、ここから見える空と海に感銘を受けたからと「言われています」と紹介されており、伝承として受け止めるのがよいでしょう。
室戸崎での修行は史実?
愛媛大学の論考では、室戸崎での修行は『続日本後紀』などにより、9世紀前半の段階で史料上確認できると説明されています。一方で、『三教指帰』序文の成立については議論があることも紹介されています。
「明星来影」とは?
『続日本後紀』に引用される言葉で、論考の「はじめに」では、室戸崎で輝く金星が口の中に入ってくるという奇瑞を感得したと紹介されています。
御厨人窟はどうやってできた?
室戸ジオパークの案内では、波によって削られた洞窟(海食洞)だと説明されています。
御厨人窟で空海の青年期をたどろう
御厨人窟は、室戸岬の近くにある海食洞で、空海が修行し悟りを開いたと伝わる場所です。『三教指帰』序文には「土州室戸崎」、『続日本後紀』には「明星来影」の記述があります。名前の由来は伝承として語られている話なので、史料と分けて楽しみましょう。訪れる前には、入洞時間を室戸市の案内で確かめてください。