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高野山へは、ケーブルカーやバスで山上まで行くこともできます。でも昔の参詣者は、ふもとから一歩ずつ山を登っていました。その代表的な道が、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である「高野山町石道(ちょういしみち)」です。
この記事では、和歌山県世界遺産センター、文化庁の日本遺産ポータルサイトと文化審議会資料、環境省の資料という公的機関の案内をもとに、町石道の特徴と、町石道で結ばれる高野山の4つの構成資産を整理しました。歩く前の予習や、空海ゆかりの道を知る手がかりにしてください。
※道の状況や通行できる区間は、天候や工事で変わることがあります。歩く前に、和歌山県や各市町の案内を確認してください。
町石道の基本
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部
環境省の資料によると、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は、修験道の拠点である「吉野・大峯」、熊野信仰の中心地である「熊野三山」、真言密教の根本道場である「高野山」の三霊場と、それらを結ぶ「参詣道」から構成されています。
参詣道として挙げられているのは、大峯奥駈道、熊野参詣道(中辺路・小辺路・大辺路・伊勢路)、そして高野山町石道です。環境省の資料では、「高野山」は9世紀初頭に空海が開創した真言密教の道場で、その仏教伽藍は真言寺院の規範となっている、と説明されています。
空海が切り開いたとされる道
和歌山県世界遺産センターの案内では、町石道は、高野山奥院御廟への参詣道のうち、空海が切り開き、その後も最もよく使われた主要道だと説明されています。
文化庁の日本遺産ポータルサイトでは、町石道は慈尊院からかつらぎ町天野を経て高野山に至る約24kmのルートだと紹介されています。
町石とは何か
和歌山県世界遺産センターの案内によると、沿道には、金剛峯寺の中心である壇上伽藍からの距離を刻んだ町石(石製の道標)が、一町(約109m)と一里(三十六町・約4km)ごとに建てられています。
町石は、もともとは木製の卒塔婆でした。和歌山県の案内では、1285年に、花崗岩の四角柱の頂部に五輪塔の形を彫り出した町石の設置が完成した、と説明されています。日本遺産ポータルサイトでは、木製の塔婆は朽ちやすかったため、鎌倉時代に僧・覚斅(かくきょう)が人々の寄進を集めて石造の五輪卒塔婆群を建てた、と紹介されています。
町石道で結ばれる4つの構成資産
環境省の資料では、霊場「高野山」の構成資産として、丹生都比売神社、金剛峯寺、慈尊院、丹生官省符神社の4つが挙げられています。和歌山県世界遺産センターの案内では、これらがそれぞれ参詣道である「高野山町石道」で結ばれている、と説明されています。ふもとから順番に見ていきましょう。
1. 慈尊院
和歌山県世界遺産センターの案内では、慈尊院は、金剛峯寺の建設と運営の便を図るため、政所(まんどころ)として山下に建立された、と説明されています。日本遺産ポータルサイトでは、町石道の起点として紹介されています。
文化庁の資料では、慈尊院弥勒堂が重要文化財として挙げられています。
2. 丹生官省符神社
和歌山県の案内では、丹生官省符神社は、金剛峯寺の荘園であった官省符荘の鎮守社として建立された、と説明されています。文化庁の資料では、本殿が重要文化財として挙げられています。
3. 丹生都比売神社
和歌山県の案内によると、丹生都比売神社は、金剛峯寺と慈尊院のほぼ中間点にあたる天野盆地にあります。空海が金剛峯寺の寺地を選んだときの伝説に登場する、土地を譲った神「丹生明神」と、道案内をした神「高野明神」を祀り、金剛峯寺と常に密接な関係を保ってきた、と説明されています。
文化庁の資料では、丹生都比売神社の本殿と楼門が重要文化財として挙げられています。
4. 金剛峯寺
和歌山県の案内では、金剛峯寺は、標高800mの山上盆地に、真言密教の根本道場として空海が弘仁7年(816)に創建した寺です。創建以来、現在まで受け継がれてきた特殊な伽藍配置を伝える山岳寺院で、伽藍地区、奥院地区、大門地区、金剛三昧院地区、徳川家霊台地区、本山地区の6地区から成る、とされています。
文化庁の資料では、金剛峯寺不動堂と金剛三昧院多宝塔が国宝として、金剛峯寺大門や金剛峯寺徳川家霊台などが重要文化財として挙げられています。
4つの構成資産のまとめ
| 構成資産 | 和歌山県の案内による説明 |
|---|---|
| 1. 慈尊院 | 金剛峯寺の建設と運営のための政所として山下に建立 |
| 2. 丹生官省符神社 | 金剛峯寺の荘園・官省符荘の鎮守社 |
| 3. 丹生都比売神社 | 丹生明神と高野明神を祀り、金剛峯寺と密接な関係 |
| 4. 金剛峯寺 | 弘仁7年(816)に空海が創建した真言密教の根本道場 |
高野山の文化的景観と文化財
山上の宗教都市
和歌山県世界遺産センターの案内では、高野山には今も117の寺院が密集していて、およそ1200年の信仰の山の歴史を秘めた山上の宗教都市だと紹介されています。けわしい山並みと深い木々が一体となった、信仰に関連する文化的景観を形づくっている、と説明されています。
環境省の資料でも、霊場を結ぶ参詣道は信仰の広がりとともに順に整えられ、今も良い状態で残り、参詣や物資を運ぶ道として使われていて、沿道の原生林などの森林とあわせて独特の文化的景観が形成されている、と説明されています。
金剛峯寺の主な文化財
文化庁の文化審議会資料では、霊場「高野山」の国宝・重要文化財として、次のようなものが挙げられています。
| 区分 | 主なもの |
|---|---|
| 国宝 | 金剛峯寺不動堂、金剛三昧院多宝塔 |
| 重要文化財 | 金剛峯寺大門、金剛峯寺山王院本殿、金剛峯寺奥院経蔵、金剛峯寺徳川家霊台、上杉謙信霊屋、金剛三昧院経蔵 など |
自然と景観を守るしくみ
文化庁の資料では、高野山の構成資産と町石道の一部は高野龍神国定公園に含まれていると説明されています。また、町石道の周辺では、自然公園法や森林法に加えて、「九度山町高野山町石周辺景観保護条例」や「高野町の歴史と文化を活かした街並景観及び自然景観に関する条例」などにより、立木の伐採や建物の高さ・色彩などが規制されている、とされています。
町石道の見どころ
町石の数え方
日本遺産ポータルサイトでは、慈尊院から壇上伽藍の根本大塔までの180の町石と、根本大塔から奥之院御廟までの36の町石を仏に見立て、それぞれ胎蔵界と金剛界を表しているともいわれる、と紹介されています。
和歌山県の案内では、合計220基あった町石のうち、7基が部分的に並行する国道480号に移された以外は、旧状が良好に保たれている、とされています。日本遺産ポータルサイトでは、今も8割ほどは鎌倉時代当時のものが残っている、と紹介されています。一町ごとに礼拝を重ねながら山上を目指した参詣の様子を、今に伝えています。
町石の数から距離を計算すると
一町は約109mなので、慈尊院から根本大塔までの180町を計算すると、180×109mで約19.6kmになります。根本大塔から奥之院御廟までの36町は、36×109mで約3.9kmで、ちょうど一里(三十六町・約4km)にあたります。町石の数字を見ながら歩けば、ゴールまでの残りの距離を自分で確かめられますね。
道沿いの見どころ
和歌山県世界遺産センターの案内では、町石道沿いの見どころとして、次のようなものが紹介されています。
- 二つ鳥居:丹生都比売神社が見える所に二つ並んで建てられた鳥居。すぐ横に立つ120町石から高野山までの道のりは「祈りの聖道」と呼ばれていた
- 弘法大師が袈裟を掛けたといわれる石:この石から先は高野山の清浄結界とされる
- 144町石と1里石、154町石など
女性たちが歩いた道
日本遺産ポータルサイトでは、町石道を通って、女性たちは大門口女人堂まで登った、と紹介されています。和歌山県の案内では、女性たちは1872年に解禁されるまで高野山境内に立ち入ることが許されておらず、境内の外周に設けられた女人堂を巡って山内を拝したことから、女人堂巡りの道(女人道)が成立した、と説明されています。
町石道以外の高野参詣道
4つに大別される経路
和歌山県世界遺産センターの案内では、高野参詣道は参詣者の出発地点に応じて複数の経路があり、大きく4つに分けられると説明されています。
| 経路 | 内容 |
|---|---|
| 北側 | 町石道を含む、紀ノ川から高野山に至る京大坂道・黒河道などの経路 |
| 東側 | 吉野と高野山を結ぶ大峰道 |
| 南側 | 熊野本宮大社や中辺路方面と結ぶ小辺路・相浦道・龍神道などの経路 |
| 周囲 | 霊場高野山を囲む女人道 |
三谷坂・京大坂道・黒河道
和歌山県の案内では、三谷坂は、12世紀に皇族が利用した丹生酒殿神社を出発し、丹生都比売神社を中継して町石道に合流する側副路で、慈尊院から町石道を登るより短時間で参詣できた、と説明されています。
京大坂道は、紀ノ川沿いから高野山へ向かう参詣道の中で、最も便利で安全、かつ町石道よりも早く登ることができる経路で、近世には高野参詣の主要道として使われました。終点の不動坂女人堂の手前にある不動坂は、距離約2.7km、高低差310mの急な坂道で、京大坂道の中で最難所とされています。
黒河道は、橋本から高野山へ向かう最短経路ですが、高低差が激しいため、京大坂道のほうが短時間で参詣できた、と説明されています。沿道には、参詣者に湯茶をふるまうために使われていた茶所跡が残っていて、そこには19世紀初頭に彫られたとみられる空海の版木が遺されている、と紹介されています。
女人道と高野三山
和歌山県の案内では、女人道は、女人堂巡りの道に加えて、高野山境内の外周にあたる奥院背後の高野三山の頂上に祀られる菩薩像の巡拝道も含む、と説明されています。
町石道のよくある質問
町石道はどこからどこまで?
日本遺産ポータルサイトでは、慈尊院からかつらぎ町天野を経て高野山に至る約24kmのルートと紹介されています。和歌山県の案内では、所在地は橋本市、九度山町、かつらぎ町、高野町とされています。
町石道は文化財に指定されている?
和歌山県世界遺産センターの案内では、文化財指定は「史跡」とされています。文化庁の資料でも、「高野山町石」が史跡として挙げられています。
モデルルートはある?
和歌山県世界遺産センターのページでは、和歌山県公式観光サイトの「高野参詣道町石道モデルルート」などが案内されています。歩く前に確認しておくと安心です。
町石道と4つの構成資産を知って高野山へ
最後に、ポイントをまとめます。
- 町石道は、空海が切り開き、その後も最もよく使われた高野山への主要道
- 町石は一町(約109m)ごとに建つ石の道標で、1285年に石造の町石の設置が完成
- 町石道は、慈尊院、丹生官省符神社、丹生都比売神社、金剛峯寺の4つの構成資産を結んでいる
- 慈尊院から高野山まで約24kmのルート
ふもとの慈尊院から一町ずつ数えながら歩くと、昔の参詣者と同じ景色を少しだけ体験できそうですね。全部を歩かなくても、町石を一つ見つけるだけで、高野山への道のりの長さを感じられますよ。